自治体業務における福祉の分野では、相談や訪問など人と向き合う業務が大きな比重を占める。一方で、その業務の周辺には、データの入力、Excel や紙による進行管理といった多くの事務作業が伴う。周辺業務の煩雑さが、本来注力すべきコア業務を圧迫しているケースも少なくない。
人口約 100万人の政令指定都市・広島市の健康福祉局では、こうした負担の軽減のため、ローコード開発プラットフォームの Claris FileMaker を活用して業務改善を進めている。生活保護や児童扶養手当、被爆者援護などの各種手続きといった業務を皮切りに、現在では FileMaker で開発された大小およそ 15 のアプリが稼働中だ。同局はどのように FileMaker を導入し、現場の業務改善につなげてきたのか。健康福祉局 健康福祉企画課 主事の森瀬賢太氏がこれまでの歩みを語った。
広島市 健康福祉局 健康福祉企画課 主事 森瀬 賢太 氏
「煩雑なデータ管理」「平準化」「改修費用」──業務改善における 3つの課題
広島市が本格的な DX を検討しはじめた背景には、令和 3年9月に施行された「地方公共団体情報システムの標準化に関する法律」がある。同法は全国の自治体が独自に運用していた基幹業務システムを国が定める標準仕様に適合させることを自治体の責務とし、デジタル化の基盤整備と DX の推進を目標に掲げている。
「もともと市役所として、業務改善が必要という認識はありました。職員が今後減っていけば、限られた人数で行政サービスを支えていくにはデジタル化が不可欠。だからこそ、腰を据えて DX を推進していこうという機運が、自然と高まっていたように感じます」(森瀬氏)
広島市は以前から、福祉やこどもの分野を総合的に扱う「福祉情報システム」を運用していた。そのシステムの標準化に向けた動きの中で、プロジェクトチーム「部会」を設置。既存業務の根本的な見直しを図るため、令和 4年度にデジタル技術の調査・研究を実施した。その結果、従前からの業務課題が改めて浮き彫りになった。
まず、煩雑なデータ管理だ。複数の Excel ファイルで業務内容を管理していたことで、二重、三重の入力の手間が常態化していた。また、市民サービス業務の平準化の難しさも挙げられる。広島市は 8つの区で構成されており、区ごとに処理を行う業務では、紙や Excel など、管理方法にばらつきがあった。「同じ自治体の中であれば、どこであっても同じクオリティの市民サービスを提供すべきです」と森瀬氏は話す。
さらに、システム改修費用の壁もあった。例えば、福祉情報システムに軽微な機能追加を行う場合でも、現行ベンダーに改修を依頼しなければならず、その都度莫大な費用がかかっていた。
「オンプレ対応」「拡張性」「優れた UI」── FileMaker を選定した 3つの理由
こうした課題のうち、特に費用面に関してはローコードツールが有効だった。基本的にライセンス料だけで始められ、業務に合わせてアプリを内製できる。改修の際も費用を抑えつつ、小回りの利く開発が可能だ。こうした特長が広島市の課題にマッチすると森瀬氏は考えた。そして数あるローコードツールの中から、広島市は Claris FileMaker を選定したのである。
選定の理由としてまず重視されたのは、オンプレミスで運用できる点だ。特に福祉分野は個人情報を扱うため、セキュリティポリシー上、マイナンバー利用事務系の閉域ネットワークで確実に動作することが必須条件だった。
加えて、幅広い拡張性も評価された。広島市ではすでに別のノーコードツールが庁内で導入されていたが、ノーコードの性質上、機能の制限が多く、現場の細かい要望には対応しきれないという懸念があった。「ノーコードが悪いというわけではありません。ただ、使い始めるハードルの低さと、できることの幅はトレードオフの関係と考えています」と森瀬氏。福祉業務の現場では細かいオーダーも多いため、ローコードツールでありながらコードを書いて細部まで調整することもできる FileMaker の自由度は魅力だったという。
さらに、職員が扱いやすい UI である点も重要だった。職員の IT スキルは個人差が大きく、マニュアルなしでも誰もが感覚的に使えることが求められていた。
「直感的に操作しやすい UI であれば、職員にもちょっと触ってみようかな、と思ってもらえるので、導入のハードルがぐっと下がります」(森瀬氏)
令和 5年5月、森瀬氏は東京ビッグサイトで開催された「自治体デジタル化支援 EXPO2023」に参加し、Claris の出展ブースを訪れた。そこで官民連携のトライアル事業への協力を得られることを知った森瀬氏は、FileMaker の導入を本格的に検討しはじめた。同年7月から開発を開始し、並行して検証用環境を構築。8月に PoC(概念実証)を開始し、11月には正式導入に至った。
事例① 生活保護業務──査察指導台帳システムで監査指摘率も改善
最初に導入されたのが、生活保護業務における査察指導台帳システムである。査察指導とは係長級職員が行う進行管理等の業務で、従来は Excel で行われていた。厳密なアクセス管理ができないため、区ごとにファイルを分割して配布しており、各区の情報の集計や引き継ぎに多大な手間がかかっていた。
FileMaker で構築された新システムでは、福祉情報システムの基幹システムからデータを取り込めるようになり、暗号化とアクセス管理により、情報の安全な一元管理を実現している。
広島市生活保護業務支援システム トップ画面
広島市生活保護業務支援システム 申請者の情報を一元管理する
「管理方法が標準化されたことで、査察指導員の経験年数によらず、一定水準の進行管理が可能になりました」(森瀬氏)
令和 6年度からは機能を拡充し、ケースワーカーのアプリ利用も開始。一人 1台配備した専用業務端末から、家庭訪問の記録作成や決裁などを行えるようにした。事務決裁が電子化された結果、時間外勤務はユーザー平均で月約 2時間減少し、コア業務である家庭訪問の実施率も向上した。さらに、定期的に実施される監査の指摘率は 33%から 21%へ低下、前年度から12ポイント改善している。
事例② 児童扶養手当業務──進達管理システムで区と本庁のやり取りを短縮
広島市こども未来局が所管する児童扶養手当業務では、各区で受け付けた新規申請や届出の進行管理が紙や電話などのアナログで行われていた。書類不備の返戻などのやり取りに時間がかかっていたうえ、紙や Excel の受付簿では情報の正確性や即時性を確保しにくく、検索性も低かったという。
FileMaker で構築した進達管理システムでは、紙や Excel による受付簿を廃止し、庁内ネットワーク上で情報を一元管理。区や本庁の担当者が、常に最新の処理状況を共有できるようになった。
「本庁と区の間で紙を行き来させていた業務では、書類不備の差し戻しなどで一往復に 1~2日かかることも珍しくありませんでした。こうしたタイムロスが、システム導入後は大幅に短縮されました」(森瀬氏)
児童扶養手当受付管理 トップ画面
児童扶養手当受付管理 申請の詳細を FileMaker で管理
事例③ 被爆者援護業務 ── レガシーシステムと重複管理からの脱却
被爆者援護業務は、広島市と一部の自治体が主に扱う独自色の強い業務であり、ブラックボックス化が進んでいた領域だ。
広島市では、過去に職員が独自に構築した Microsoft Access の業務システムを利用していたが、今ではメンテナンスできる職員がおらず、一部機能が使えない状態に陥っていた。さらに、手当の支給状況は複数の Excel で管理しており、二重・三重入力が常態化していたという。
現在は、被爆二世の健診業務と手当支給業務が、段階的に FileMaker での一元管理へ移行している。
「健診業務では、入力作業や受診申込書作成の所要時間が約半分になりました。年間およそ 8000件ある健診業務の多くは繁忙期に集中しています。そのため、1件あたりの処理時間の短縮は、繁忙期の負担軽減にもつながりました」(森瀬氏)
被爆二世健康診断業務システム トップ画面
被爆二世のための費用介護手当管理システム トップ画面
草の根的に進む庁内展開と、導入の壁の越え方
現在、広島市ではおよそ 15 のアプリが FileMaker で開発され、実務で稼働している。福祉部門だけでも、すでに 300人近い職員が同ツールを利用している。閉域ネットワークで稼働するアプリについては、市が持つ仮想サーバーを活用。PoC 期間中のライセンス無償貸与により、予算要求を待たず迅速に検証をスタートできたとのことだ。
また、庁内へのシステム横展開にも意欲的だ。現在は 2つのアプローチで FileMaker の浸透を図っている。一つは、FileMaker になじみそうな業務を見極めて担当者に直接提案するプッシュ型アプローチ。もう一つは、自治体職員向けメディア『ジチタイワークス』への掲載などで取り組みを広く周知し、興味を持った部署から相談を受けるプル型アプローチだ。
「私たちの取り組みを劇的に広められるスキームはありません。草の根的に地道に広げているのが実情です」(森瀬氏)
新システム導入の壁としてよく聞かれるのが、「慎重派の人がいて前に進まない」「予算がつかない」といった声だ。森瀬氏はその解決策に、「地道な対話」を挙げる。担当者だけではなく上長との協議の場にも同席し、簡単なプロトタイプを作って実際の画面でデモを行っている。「目の前で動かしてみせると反応が変わる」という。
今後の展望 ── 福祉分野を超えた横展開と、現場主導型 DX の拡大
森瀬氏は今後の展望に、福祉分野以外への横展開、外部委託と内製のハイブリッド、生成 AI の併用、開発人材の拡大の 4つを挙げる。共通しているのは、開発・運用の主役が職員だということ。実際、運用中のアプリには、FileMaker 上でコードを記述できる機能(スクリプト)を活用し、生成 AI の支援も受けながら職員自身が UI を改善し続けているものもある。
「PoC で最初に作っていただいたアプリと比べると、見た目や機能はほぼ別物のように進化しています」(森瀬氏)
相談記録の文字起こしや要約、開発支援などで生成 AI を活用しながら、より多くの職員が知見を共有できるコミュニティを作っていく考えだ。
こうした広島市の取り組みは、全市的な旗振りで始まったものではない。スタート地点はごく小さな、日常的なところにあった。「現場の職員が『この業務、少し不便だよね』『もっと楽にできないかな』と感じたところから始まった事例なんです」と森瀬氏は語る。
専門的なエンジニアでなくても、業務を一番よく知る人が、自分たちの手で形にすることができる。そこに、FileMaker による「現場主導型 DX」の価値があるのだ。現場の小さな課題意識と、FileMaker を活用したスモールスタートから始まった広島市の取り組みは、福祉分野を超えて、さらなる広がりを見せようとしている。
*本記事は 2026年7月8日に 「TECH+」(マイナビニュース)に掲載された記事を転載しています。
2026年11月11日(水)〜 13日(金)開催の「Claris カンファレンス 2026」に、広島市様が登壇し、広島市における DX 成功事例について詳しくご紹介くださいます。
「現場発の自治体 DX――広島市職員が作り続けてきたシステムと、初めての協働」
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