特集

新型コロナによる医療崩壊を防ぐ CRISIS アジャイル開発の真価(前編)

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の拡大は、医療機関に多大な影響を与えました。その余波は現在でも続いています。特に COVID-19 患者に対応している医療機関は、医療崩壊に直面し、一時期は薄氷を踏むような日々が続きました。今も再拡大に備えてできる限りの対策を講じています。中でも重症患者への対応を引き受けている集中治療室の医療崩壊は、死亡率を急激に悪化させることになります。

その医療崩壊対策の一助となっているのが、日本集中治療医学会日本救急医学会日本呼吸器学会の 3 学会の協賛を得て、日本 COVID-19 対策 ECMOnet が立ち上げた「横断的ICU情報探索システム(CRoss Icu Searchable Information System)、略称CRISIS」です。同システムの開発責任者で、CRISIS 管理リーダーを務める橋本悟氏(日本集中治療医学会 常務理事、京都府立医科大学附属病院 集中治療部 部長)に開発経緯や目的などを伺いました。

CRISIS - 重症患者状況の集計情報はこちらのURLで一般公開されています :  https://crisis.ecmonet.jp

CRISIS“開発前夜”

2020 年 2 月 12 日の午後、橋本氏は病院の一室で Claris 社法人営業担当者、Claris Platinum パートナー企業のJUPPO 社の代表取締役と取締役部長のエンジニアトップを交えて、日本 ICU 患者データベース(JIPAD)の今後について打ち合せを行っていました。

その最中、橋本氏に 1 本の電話が入ります。電話の主は、当時の日本集中治療医学会理事長の西村匡司氏でした。電話の主旨は、「COVID-19 が拡大の様相を見せており、医療機関は今後大変な状況になることを危惧している。対応できる全国の集中治療部門のリソースをリアルタイムに把握するとともに、症例の情報共有ができるようにしたい。その仕組みを作れないか。首尾良くいけば今後、東京オリンピック・パラリンピック開催時の事故や大規模災害にも役立てることができるのではないか」というものでした。

CRISIS の開発について語る橋本悟氏

過去にも集中治療領域の専門医同士は、感染症や災害医療の対応のため、メーリングリストを立ち上げるなど、症例などの情報を交換してきたといいます。例えば、1996 年に大阪府堺市などで発生した O157 集団食中毒事件の際には、メーリングリストを立ち上げ専門医で情報交換の場を作って対応しました。また、2011 年の東日本大震災のときは、Google マップ上に機能している医療リソースをマッピングし、災害医療対応の一助としてきました。

前理事長の西村氏の電話は、COVID-19 に対応する同様のシステムを、学会の資金を使って早急に構築して欲しいという、橋本氏への要請だったわけです。橋本氏に白羽の矢が立った理由は、過去のメーリングリスト構築や医療リソースの Google マップ上への表示システム、そして JIPAD の立ち上げで成果を上げてきたからです。

ちなみに JIPAD(注)は、日本集中治療医学会が 2014 年に構築した国内の ICU 入室患者の症例登録データベースです。ICU における多数の症例データを基に機能評価を標準化し、日本の集中治療の成績を向上させることを目的として構築されたものです。JIPAD のプラットフォームとして FileMaker が採用され、構築・運用されてきました。その開発を主導してきたのが、橋本氏でした。

注-「データ入力から症例登録データベースまで1つのプラットフォームで構築」(日経XTECH)

2 月 10 日頃の日本における COVID-19 は、客船ダイヤモンド・プリセンセスの乗船客に感染者が急増していたものの、国内の感染者のほとんどは中国からチャーター便で帰国した人たちの中に数十人の感染者が確認されていた頃。しかし、集中治療領域を担当する専門医の間では、中国武漢市の医療崩壊を見て早急に日本の医療機関も感染爆発に備える必要があるという声があり、未知の感染症に対する症例情報の共有と医療リソースの把握が急務であると考えていた人は多かったといいます。「当時は、日本ではまだ COVID-19 による死亡者は出ていなかったが、私自身もまずい状況に陥る危険性を感じ取っていました。しかし、そうしたシステムを有志で立ち上げるにも資金を手当てする術はなかったし、私だけで構築できるものでもありませんでした」。橋本氏はこう振り返ります。

わずか 3 時間ほどでプロトタイプを構築

そこに居合わせたのが、Claris 社と Claris Platinum パートナー企業の JUPPO 社(大阪府)でした。「両者から、ぜひ一緒にやりましょう」という申し出を受け、すぐにシステム仕様の検討に入ることができといいます。最低限収集する項目を橋本氏が挙げ、1 時間半ほどで基本的仕様を固めました。Claris 社と JUPPO 社はそのまま京都市内に手配した個室に移動。AWS 上に FileMaker Cloud サービスを構築すると同時に、JUPPO 社のエンジニアにより 3 時間ほどでプロトタイプをつくり上げて橋本氏にアクセス環境を提供しました。

当初の基本仕様は、次のような項目でした。まず、日本集中治療医学会専門医認定施設、日本救急医学会救急科専門医指定施設である医療機関の病院名・住所・担当責任者名とメールアドレスなど医療機関基本情報、COVID-19 患者の受け入れ可能数(ベッド数など)、体外式膜型人工肺(ECMO)および人工呼吸器の実施可能数・実際の利用数などです。「CRISIS の最大の目的は、医療資源の適正配置。どの病院でどれほど人工呼吸とECMOを実施しているか日々把握し、逼迫している病院を助けることにあります」(橋本氏)。この目的を達成するため、できるだけ各病院が入力する項目、データ数を絞り込み、受け入れ可能な病院すべてをカバーすることが求められました。データを提供する病院の担当者が容易に入力できるユーザーインターフェースであることも必須でした。

プロトタイプの開発から約1週間のうちに、上述の認定病院群および一部の感染症指定医療機関に対して、橋本氏自らが学会からのお願いとして、各責任者にメールでデータ入力の依頼を行い、CRISIS が稼働を開始しました。非常に短期間にデータ収集にこぎ着けられたことを橋本氏は、「FileMaker Cloud がなければできなかった」と指摘します。

「全国の ICU を持つ病院がデータ入力するプラットフォームを安全なクラウド環境に構築できたからこそ、素早い展開が可能でした。さらに、FileMaker はデータ項目の追加などアプリケーションの改編が容易にできるアジャイル開発プラットフォームで、短期間のうちに進化できます」(橋本氏)。FileMaker は現場の医師にとって、医学生時代に利用した経験を持つ人が多く、入力メソッドとして最もユーザーフレンドリーだと感じていることにも優位性があると話します。

現在、CRISIS に参加し、データ入力している病院は日本集中治療医学会専門医認定施設、日本救急医学会救急科専門医指定施設を中心に日本全国で約 620 施設に上っています。「日本全体の ICU ベッドは約 6500 床と言われており、その 80% はカバーしていると思われます。特に ECMO 症例は 100%、人工呼吸症例の 8~9割は捕捉できています」と橋本氏。

日次で集計された国内の COVID-19 における ECMO 治療の成績累計(一般公開されているデータ)

COVID-19 重症者における ECMO 装着数の推移(一般公開されているデータ)

運営は、2020 年 2 月に立ち上げた日本 COVID-19 対策 ECMOnet が行っています。COVID-19 に対する ECMO治療を支援するための有志の集まりで、日本集中治療医学会・日本救急医学会・日本呼吸療法医学会・日本感染症学会・日本呼吸器学会など関係学会からの協力を得た組織です。重症患者への 24 時間対応の電話相談、ECMO 患者の搬送、相談を受けた現地での治療参加、重症症例の経過追跡などで支援しています。CRISIS に登録されたデータの一部は、一般公開もされています。

<後編へ続く> 「新型コロナによる医療崩壊を防ぐ CRISIS アジャイル開発 の真価(後編)  

【編集後記】 

COVID-19 の国内での感染拡大と、それによって招く医療崩壊を防ごうと立ち上げられた「CRISIS」。集中治療領域の医療リソースを早急に把握するため、一刻も早く稼働させる必要がありました。開発をベンダーに発注し、オンプレミスで構築する従来のシステム開発ではなし得なかったが、現場の医師が自らも開発に携わり、FileMaker Cloud だからこそできた一例と言えます。橋本氏が中心となり立ち上げた FileMaker によるJIPAD の功績が、存分に生かされたものでもあります。後編では、CRISIS が乗り越えた壁の数々や進化についてご紹介します。