事例

医療 DX :2013 年の開発から 10 年。透析クリニックの軌跡

透析業務支援アプリ dottoHD

目次

  1. 臨床工学技士が続けた医療 DX 〜 開発 2 年、運用 10 年
  2. 「紙のほうが早い」から一転。デジタルネイティブな看護師たちに囲まれる
  3. 透析装置から取り込んだデータを分析。より患者に寄り添った透析を
  4. FAX による発注業務も一掃
  5. 次の 10 年 FAX は完全になくなっている? 未来に向けて

1. 臨床工学技士が続けた医療 DX 〜 開発 2 年、運用 10 年

関西国際空港からほど近い大阪府泉南市にある泉南新家クリニックは、透析の診療やそれに伴うケアなどを提供するクリニックとして 2007 年に開業。2023 年 4 月には新院長として吉野谷 清和氏が就任し、これまでのリウマチ膠原病、糖尿病に加えて、現在は呼吸器外来にも対応し、地域に根ざした医療を提供している。

同院の透析センターは 24 床の透析ベッドを有し、臨床工学技士 常勤 3 名、看護師 5 名を含めた透析スタッフ 11 名で 早朝 6:00 から 夜 21:00 まで、透析患者を受け入れている。旅行透析にも対応しており、さまざまな患者のニーズに応えている。

透析治療は、慢性腎不全で血液のろ過が十分に行えず、水分や老廃物のコントロールができない患者に対し、1 回 4 時間を週 3 回、人工的に血液の浄化を行うことで患者の生命を維持していく。

現在、透析部長を務める 田代 庸平氏は、臨床工学技士として同院に赴任した 2008 年から ローコード開発プラットフォーム Claris FileMaker を使った透析業務のデジタイゼーション(電子化)に着手した。現場で臨床工学技士として勤務する傍ら、透析業務を効率化するアプリの開発を進めた。透析現場でアプリを運用し、改善を続けて dottoHD(ドットエイチディー)というカスタム App を完成させた。

田代氏が現場のデジタル化を進めながら開発した透析業務支援システム dottoHD は、透析にかかわる膨大な事務処理作業からスタッフを解放するだけでなく、より安全安心な透析実務を実現した。さらにデジタル化による業務効率化で生まれた時間を、看護師が患者とのコミュニケーションをとる時間やフットケア*の時間に充てることができるようになった。

*フットケア:単なる足の指や爪のケアをするだけでなく、糖尿病患者へのフットケアの意義や基礎知識の指導、糖尿病による足の病変への評価、潰瘍治療を含む。

iPad 上で フットケアの状況を確認できる

2. 「紙のほうが早い」から一転。デジタルネイティブな看護師たちに囲まれる

田代氏が透析現場のデジタル化に取り組んだのは、いまから 10 年ほど前。当時は 2012 年に iPhone 5 が発売されたばかりで、国民の 2 - 3 割ほどしかスマートフォンを利用していない時代。 iPad については iPad Air と iPad mini の第 1 世代 がリリースされた頃で、この機器をビジネスにどう生かすか、各企業が取り組み始めた段階であった。そんな時期なので、クリニックで導入するところは少なく、ましてやアプリを自分で開発して医療現場で本番運用しようとするような医療機関は一握りであった。

泉南新家クリニックでも当然ながら、現場の看護師からは「紙のほうが早い」「従来通りのやり方がよい」などの意見が多かった。そのため、田代氏は「現場に負担になるようなシステム導入はありえない。無理してペーパーレスを追求することよりも、現場の効率性と安全が第一」として、自ら開発した dottoHD を透析業務のペーパーレス化アプリとして定義しなかった。

Claris FileMaker プラットフォームで開発されている dottoHD は、Windows 端末でも Mac でも、iPad でも稼働する。これまではデータベースから患者ごとの透析記録を印刷し、診察時にその用紙に所見などを手書きで書き込み、ナースステーションに戻ってそれを PC へ転記入力するという作業があった。スペースを専有するPC も交代で入力していたため、患者の血液検査データなどを見るにも印刷して過去の紙との比較が必要だった。

田代氏は、iPad を使うことで少しでも看護師の作業が楽になることと、患者に利益になることを考えて現場との対話を繰り返した。とはいえ実際は、同じ職場にいる医療従事者同士であるため、改善のための意見を吸い上げてはアプリに反映させて使ってもらうというやりとりの繰り返しだった。

そして気付けば、透析現場に必要な最高のアプリが出来上がっていた。この 10 年の間に多くの職員が iPhoneや iPad を使うのに慣れたことや、新しく入職した看護師が増えたこともあり、結果としてdottoHD は自然に浸透していった。「もうベッドサイドに iPad を持ち込んで、患者さんに説明をしたりすることが普通になりました。最近のアップデートといえば、機能の追加というよりは見やすくしたり、大きい画面表示にするなどのデザイン上の工夫が増えてきました。もう機能追加としての開発は最新の透析医療を随時反映するくらいです」と田代氏は言う。

iPadを使ってベッドサイドで患者の透析記録や血液検査結果を確認できる

3. 透析装置から取り込んだデータを分析。より患者に寄り添った透析を

完成度の高い透析業務支援システムに仕上がった dottoHD には最近の機能追加はない、と言う田代氏。それでもしつこく直近の開発について質問したところ、ようやく思い出してくれたのが、東レ・メディカル株式会社(TORAY)の透析装置のデータのデータ解析によるブラッドボリューム(BV)分析の可視化だ。

透析患者はドライウェイト(体の水分量が適正な状態)を基準にして透析を行っている。通常は体に浮腫みがないかや、血圧が適正かを確認するほか、定期的に胸部レントゲンで心胸比(CTR : 心臓の大きさ)をチェックし、患者とコミュニケーションをとりながら塩分摂取の制限など指導をする。

BV データ、Hct(ヘマトクリット)などの推移と変化を見て、患者と相談しながら 200g 単位で体重の調整を行っているという。

「患者さんが調子が良いと感じる状態は、機械の数値だけではわかりません。ベッドサイドで患者さんとコミュニケーションをとりながら日々の変化を理解し透析を微調整することで、患者さんに少しでも良い一日を過ごしてもらいたい。そんな思いから、取れるデータをしっかり蓄積して分析しています」

東レ・メディカル 透析装置からデータ取得してiPadで可視化する

至適透析やBVデータを時系列で確認できるiPadは患者とのコミュニケーションを図る上で欠かせない

4. FAX による発注業務も一掃

クリニック内ではペーパーレスに舵を切っても、残ってしまうのが外部との FAX による通信手段である。いまだに多くの中小企業で FAX による通信手段から脱却できない状態にあるが、泉南新家クリニックでは、この 10 年で FAX による医療材料などの受発注業務は完全に電子メールに移行した。

近年は医療機器メーカー側の取り組みも進化し、現在ではすべての医療材料はバーコードや QRコードなどが付与されており、在庫管理は FileMaker Go からバーコードスキャンで行っている。以前は FileMaker で発注書を印刷し FAX 送付するという作業があったが、販売代理店側もメールでの受注に切り替わり、CSV によるデータのやりとりも一般化したため、現在は iPad から直接 FileMaker Go 経由で発注書の PDF と CSV を生成して、その日の発注データを送付しているという。

「10 年で医療卸業者側も変わって、今では発注をデータ送信して欲しいという業者が当たり前になっています。FileMaker であれば、マスタの登録も簡単ですし、csv、xml、JSON など複数の形式で出力できます。もう発注で FAX を使うことはないですね」

泉南クリニック専用の在庫管理・発注管理アプリ。導入によってペーパーレス化を実現した

FileMaker Go でバーコードスキャン発注処理をする田代氏

5. 次の 10 年 FAX は完全になくなっている? 未来に向けて

発注業務に FAX を使わなくなった泉南新家クリニックだが、残念ながらいまだに FAX が送られてくることがあるという。それは医療機関同士の患者情報のデータで、氏名・年齢などの患者基本情報、感染症や病歴情報、透析スケジュール、ドライウェイトや血流量などの透析条件、アレルギーや禁忌薬など引き継ぎが必要な情報が記載されている。

泉南新家クリニックでは透析条件などを記載した透析カードを印刷して渡すことも可能だが、更新されるたびに印刷することなく、患者のスマートフォンに情報をメール送信することができる。

1995 年に発生した阪神・淡路大震災では透析施設の倒壊や断水などで施設を移った患者も多かった。そのような教訓から、同クリニックでは南海トラフ地震に備えたハード面とソフト面の対策が講じられている。例えばハード面では、血液透析においては患者 1 人 1 回 100 リットルの水が必要とされることから、大型の貯水タンクを備えている。ソフト面では、現在の患者が他院で透析を受ける場合を想定した、透析カードの電子化だ。被災状況にもよるが、電気や通信のインフラは真っ先に復旧されるため、必要な情報を相手側の施設に正確に伝えることさえできれば、患者はそこでいち早く透析を再開できるという。

災害時などに活用が期待されるデジタル透析カード。 アプリを内製開発した 田代透析部長

「同じシステムを使えばデータのやりとりもスムーズですし、FileMaker であればデータが暗号化された状態で保存できるので安全です。もし賛同してくれる施設があれば同じ dottoHD を使って、非常時に患者さんの情報をやり取りできるといいですよね。10 年後には FAX 機が完全になくなって、FAX ってどう使うんだっけ?って言われていると思います。その頃には、関西で dottoHD 使っている施設はどっと増えていると思います」と関西弁のダジャレで笑わせてくれた。

田代氏によると現在、大阪府・和歌山県・兵庫県の 10 以上の施設で dottoHD が利用されており、システム活用の場は少しずつ広がっているという。

泉南新家クリニックのビデオ事例 : https://www.claris.com/ja/customers/stories/sennan

【編集後記】

透析業務支援システム dottoHD のビジョンには「透析患者のより良い日常生活」があり、そこにはデジタル化による業務効率化、データの分析、看護師による患者とのコミュニケーションの増加、災害時の患者対応までもが含まれている。この 10 年で透析分野の医療 DX を成し遂げた田代氏の目には、「患者中心」の開発思想があった。

これはまさに 2004 年に DX を提唱したスウェーデンのエリック・ストルターマン教授らが提唱する DX の定義「デジタル技術の浸透が人間の生活のあらゆる側面にもたらす変化や影響」に合致している。そして、DXの実現のための以下の 3 つの段階をたどって現在に至っている。

フェーズ 1:テクノロジーを活用して業務プロセスが強化される
フェーズ 2:テクノロジーによる業務の変化(置き換え)が起きる
フェーズ 3:業務がテクノロジーを中心にシームレスに変換される

dottoHD の導入を支援しているトップオフィスシステム株式会社 代表取締役 池田栄司氏も、「10 年前に田代さんの作られた dottoHD を拝見したときに、大きな衝撃を受けたのは今でも忘れません。直感的な操作性、使う人への想いの熱さは 10 年経った今も変わりませんし、透析施設と患者様のあらゆる情報を集約し、患者様にとって『安心』を提供する dottoHD は、患者様の笑顔はもとより医療従事者の皆様にも笑顔を提供できる画期的なツールであると言えます」とコメントを寄せている。

日本国内で DX が叫ばれるようになったのは 2018 年に経済産業省が『DXレポート』を発信したことがきっかけとなっているが、田代氏の医療 DX は 「透析患者のより良い日常生活」をテーマに 2013 年に始まっていた。ローコード開発プラットフォームを選択し、常に時代の流れと働くスタッフの状況を観察しながら 3 つのフェーズを押さえた田代氏の行動は、多くの企業が見習うべきなのではないか? 少なくとも開発ベンダーにDX 実現をお願いしているのであれば、今すぐ目線を現場に向けて誰のための DX なのかを注視して見る必要がある。

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