事例

ひとつでも多くの注文に応えるため―洋蘭農園が API 連携で既存の受発注管理システムを進化させた理由

1990 年初頭、祝い事のイベントが重なる生花店の繁忙期。夜が更けたにもかかわらず、黒臼洋蘭園の明かりは静かに煌々と灯っていた。ここでは、開店・開業祝いや、就任祝い、選挙、新築祝いなど、人々の人生の大切な節目を彩る胡蝶蘭が心を込めて育てられている。美しい胡蝶蘭が、多くの人々の目を楽しませる。しかしその裏では農園スタッフが、突然の注文に応えるため休む間もなく奮闘していた。当時、黒臼洋蘭園では注文に伴うすべてのデータ入力は手作業で処理。手書きの伝票と電卓、POS システムに頼っていた。

受注伝票の整理、出荷指示、梱包、発送という一連の作業は、深夜まで続く。選挙シーズンなどの繁忙期には、その作業量はさらに増加し、夜中の 24 時を過ぎても、入力や出荷作業が終わることはなかった。スタッフたちは疲労困憊(こんぱい)しながらも、しかし確かな手つきで、一つひとつの胡蝶蘭を慎重に扱い、大切な顧客の元に届けるための作業を進める。決して表に出ることはない農園スタッフの献身によって、胡蝶蘭は多くの人々に喜びをもたらしていた。しかし、この状態をいつまでも続けるわけにはいかないと、有限会社黒臼洋蘭園 代表取締役 黒臼 秀之氏(以下、黒臼社長)は DX への取り組みに乗り出した。

埼玉県にある黒臼洋蘭園は、創業 1984 年の胡蝶蘭を中心とした洋蘭の栽培農園。当初は卸売部門が事業の中心であったが、徐々に小売部門の比率を高め、最近では小売部門が事業の中心となっている。卸売部門の場合、花卉(かき)市場を経由するためには市場手数料が必要となる。これが収益を圧迫する一因であったため、同社は市場手数料を必要としない市場外流通を政策的に増やしてきた。冒頭のエピソードは、同社が小売部門へのシフトを進めた結果、実際に起こった問題である。

同社のビニールハウスでの栽培の様子。膨大な数の胡蝶蘭が並ぶ光景は圧巻だ

既成パッケージシステムで直面した変革への抵抗

「胡蝶蘭をご注文いただくお客様は贈答目的ですから、注文を受けておきながらキャパオーバーするのは、あってはならないことです。出荷できないのに、注文を承ることはできないのです。Amazon、楽天、直販 ECサイトの注文を考えると、当時使っていたシステム「顧客管理システム 産直くん」は、商品を配送するためのお客様情報の管理には向いていたのですが、複数の実店舗と EC サイトの管理をするには限界がありました。当社には、「らんや大宮本店」のほかに「らんや小石川店」(東京都文京区)に直営店舗がありますが、複数店舗の売上情報をまとめて管理できないことも課題でした」

当時について、このように振り返るのは、黒臼社長。全国的な人気を有する胡蝶蘭農園を一代で築いた人物である。

黒臼 秀之 氏(有限会社黒臼洋蘭園 代表取締役)

黒臼社長は、この課題を解消するために、経営コンサルタントと協議し、いくつものシステムを検討した。そのなかから、カスタマイズ性の高さで kintone(キントーン)と FileMaker の二つに候補を絞った。最終的に、現場を段階的に効率化し成長していけるシステムはどちらかを検討した結果、選ばれたのが Claris FileMaker だった。

「 FileMaker を選んだのは、店舗の POS レジ機能と、受発注管理機能の両方を実装できたからです。他のソフトでは受発注管理はできても、POS レジ機能を持たせることができなかったと記憶しています。当社は実店舗のほか、EC サイトでの販売もしていますし、法人需要も個人向けの需要もあります。多様な販売形態をトータルでカバーできるものを選んだ結果、FileMaker になったということです。

また、iPhone から直接 FileMaker でアクセスして、リアルタイムに情報が確認できるのも当時は画期的でしたね。私は胡蝶蘭の苗の買い付けで台湾を訪れることが多いのですが、現地でも店舗や EC サイトごとの売上げデータを iPhone でリアルタイムに確認できるのでとても重宝しています」(黒臼社長)

iPhone (FileMaker Go) で売り上げデータを確認する黒臼社長

年間 4 万件以上のオーダー、当日発送を実現するにはシステム変革が必要不可欠

FileMaker プラットフォームを使って作られた同社の現在の受発注システムは、EC サイトから注文が入るとAPI 連携機能により、注文情報がデータベースに登録されるようになっている。電話・ FAX からの注文は受注担当部門でデスクトップ(Claris FileMaker Pro)から登録され、実店舗で注文を受けた場合は、iPad POS レジ(Claris FileMaker Go)から直接登録できる。データ処理がなされると、注文に応じた生産依頼書と発送用伝票が出力され、生産担当部門に渡される。胡蝶蘭と贈答者の看板が注文内容に沿って仕立てられた後、梱包発送される。

同社の IT システムの保守管理業務・ネット管理責任者の常務取締役 黒臼 一聡氏は、この点について次のように語る。

「通販で生花を販売するのは困難が伴います。在庫はあるものの、実際にお届けする商品は、ご要望に合わせてオーダーメイドで作らなければいけません。それを短時間でこなすためには、必然的にオーダエントリーのスピードをアップしなければならないのです」

そのような要求に応えるためアップデートしたのが、受発注管理システムと自社で運営している EC サイトのデータ連携である。FileMaker 16(2017 年リリース)から実装された [ URL から挿入] スクリプトステップの「 cURL オプションの指定」による API 連携機能を使うことで、以前は EC サイトの管理画面と受発注管理画面を開いて手作業でコピー&ペーストしていた作業が、API 連携によって自動反映される仕組みに進化したのである。

顧客からの注文情報は API 経由で自動取り込みされる

iPad を活用することで DX が加速

さらに iPad アプリ(Claris FileMaker Go)から直接、発送前の画像を注文データと一緒に保存する機能も実装した。黒臼洋蘭園では、発送前に仕立てた商品の写真を撮影し、これを依頼主にメールで送っているが、以前は一つひとつ手作業でメールに添付していた。この作業を効率化するために、iPad で撮影した写真を FileMaker 内に直接取り込み、メールに写真が自動添付されるようにしたのである。

注文の多くが贈答目的であるため、依頼主側が商品の実物を見ない場合もある。そこで発送前に発注者に「発送準備完了・お荷物追跡番号のお知らせ」のメール送付と同時に写真を送付することで、依頼主が仕上がりを確認できるようになった。

出荷商品を iPad で撮影し、依頼主にメールで発送準備完了報告として送付している

POS で使うなら iPad 12.9 インチ

直営店舗の POS レジでは iPad Pro 12.9 インチを使い、システムにアクセスしてデータ入力や写真撮影などを行っている。このモデルを選んだ理由について、受注・経理担当の宍戸 ゆかり 氏は次のように語る。

「店舗の POS レジでは注文内容をお客様に画面で確認いただくことがありますので、できるだけ視認性の高い大きなディスプレイサイズのものを選びました。実際に使ってみると、ディスプレイサイズが大きい方が視認性だけでなく、操作性も高いので助かっています」

なお、 FileMaker Go で動作するカスタム App の使用感も申し分ないとのことだ。顧客データ 5 万件、注文データは 20 万件ほど登録されているが、検索レスポンスはよく、またストレスを感じることなく初めて業務にあたるスタッフでも直感的に操作できると、従業員からの評判も上々だという。

黒臼洋蘭園の POS レジとして使用されている FileMaker Go ( iPad Pro 12.9 インチ )

売上増でも人件費を増やさないシステム

FileMaker 導入の効果について、宍戸氏は「ブラウザから注文情報をコピー&ペーストする際は、必ず間違いが起きるので、確認作業や修正作業が欠かせませんでした。ひっきりなしに注文が入る繁忙期には、これが大変な手間になっていましたし、臨時のパート従業員を増やす必要もありました。今回、自動的にデータが API 連携されるようにし、その手間が省けるようになったことはとても大きいです。今では 14:00 までにいただいたご注文は当日出荷できるまでになりました。さらに、FileMaker は『あいまい検索』ができるようになっています。コールセンターでお客様をお待たせしないためには、検索の使いやすさや検索の速度がとても重要です」と説明する。

FileMaker による DX は経営的にも好影響を及ぼしていると黒臼社長も語る。

「当社は市場に卸す事業と、お客様に直接商品を販売する小売事業を手がけていますが、FileMaker システムが小売事業の売上げを下支えしてくれています。梱包出荷のキャパシティ上、繁忙期には受注を制限することもありますが、FileMaker とオペレーション業務の改善により、これまで以上に出荷できるようになりました。FileMaker のおかげで 法人一括の大量注文も柔軟に処理できるようになりました。贈答用の胡蝶蘭を一括請求で複数ご発注頂くこともシステムで対応できるようになりました。

売上データの過去の分析も重要です。データの蓄積と分析によって、事業計画も立てやすくなりました。おかげで、売上は前年比で 1 割強伸びており、今期の売上も順調です」(黒臼社長)

FileMaker システムを Claris パートナーが引き継ぎ DX を加速

今回のプロジェクトは FileMaker システム導入当初の担当者の都合がつかなかったため、 Claris Platinum パートナー 株式会社ジェネコム が引き継ぐことになった。担当したエンジニアの山口 優太 氏は、開発における FileMaker の優位点について、「今回の改良にあたって、黒臼洋蘭園様からは『繁忙期に間に合うようにリニューアル開発をお願いしたい』というお話でした。今回、一般的なシステム開発では困難なほどの短い期間で開発しリリースができたのは、ローコード開発が可能な FileMaker だからこそだと考えています。すぐに β 版を作成し、実際に確認していただき、要望があれば修正する。このアジャイル開発のサイクルをスピーディーに回せました」と説明する。

取材の最後、黒臼社長は FileMaker の活用を検討している企業担当者に対して、次のようなメッセージを送った。

「弊社は、電卓と手書きの領収書からスタートしました。それから色々なシステムを使いましたが、最終的に FileMaker に出会い、受発注業務の効率化を実現しました。さらに、受発注業務が効率化したことで、生産現場や出荷作業の現場など、周りの業務も相乗効果で効率化ができています。おかげで今年よりも来年、というような増産体制を図ることができ、事業全体も成長しています。FileMaker 導入を検討されている企業の方は、前向きに考えて損はないと思います」

黒臼洋蘭園の皆さんとジェネコム社の山口さん鵜浦さん

【編集後記】

中小企業の多くが DX に取り組みながらも直面するのは、パッケージシステムを導入したあとのカスタマイズ性の問題だ。現場の効率性を追求すればするほど、つまり現場の業務専用システムとして細かく改良しようとすると、システム側の調整が必要になる。一方で日本では IT エンジニア不足のため、カスタマイズを業者に外注するとなると高額な費用が必要となる。結果として、既存の IT パッケージに合わせて現場の運用を変えるようになることも多い。

インタビュー中に、黒臼社長が何度も口にしていた「すべてはお客様のご要望に応えるため」。そのために黒臼洋蘭園では古い慣習やシステムを刷新し、自社の進む道に合わせたシステムが作れるローコード開発プラットフォーム FileMaker に切り替えた。それにより、同社の DX への取り組みが加速。これは、FileMaker が同社の DX の発展を支えていると言えよう。

黒臼洋蘭園では、胡蝶蘭の栽培・販売にとどまらず、化粧品製造会社とコラボした胡蝶蘭のエキスの販売、仕立て用支柱の特許取得、またオリジナル品種 [夢鶴~フラミンゴ~] の品種登録といった新しい取り組みを加速している。2024 年 1 月からはリピーター顧客への新しいサービスを展開するなど、これからも現場の意見を取り入れて IT サービスを進化成長させ、お客様のご要望に応えようとしている。黒臼洋蘭園は、日本の中小企業が目指すべき DX の指標になるのかもしれない。