特集

新型コロナによる医療崩壊を防ぐ CRISIS アジャイル開発の真価(後編)

COVID-19 の日本での拡大が始まった頃、重症患者に対応する医療機関の医療リソースを日々把握し、逼迫する医療施設を支援しようと立ち上げられた「横断的ICU情報探索システム(略称CRISIS)」その開発を主導し、CRISIS 管理リーダーを務める橋本悟氏にプロジェクトについて伺いました。 

前編では、CRISIS 開発の経緯と稼働開始までをご紹介しました。後編では、CRISIS で実際に収集しているデータの種類や、そのデータをどのように活用しているかなどを中心にご紹介します。

前編はこちら「新型コロナによる医療崩壊を防ぐ CRISIS アジャイル開発の真価(前編)


アジャイル開発で日々拡充し続けたデータ種別

CRISIS の当初の目的は、COVID-19 の拡大をはじめ、有事の際にどう集中医療を乗り切るかのために医療リソースを時系列に把握することを優先に考えられました。しかし、専門医からは COVID-19 の詳細な症例や経過、レムデシベル(商品名:ベクルリー)やファビピラビル(商品名:アビガン)などを使用した治療例といった様々な情報を得たいというニーズが高くなりました。「あれも、これもと欲張るとシステム利用の素早い展開に支障をきたします。そのため当初は、集中治療における ECMO と人工呼吸に特化して、データ精度を高めようと始まりました」(橋本氏)。

CRISISの臨床データ分析をする橋本悟氏

ECMO 治療にこだわった理由は、現在 CRISIS の運営主体である日本 COVID-19 対策 ECMOnet(以下、ECMOnet)が 2020 年 2 月に構築されたことも一因です。ECMOnet のメンバーは、日本での ECMO 治療の成績向上のため、治療効果を上げていた欧州に留学し、治療技術を修得した専門医たちです。帰国後の 2012 年に ECMO プロジェクトを立ち上げ、全国各地で ECMO 研修会などを開催してきました。COVID-19 の治療においても、全国の医療機関で実施され始めた ECMO 治療に対する電話相談や現地にメンバーを派遣して治療支援にあたってきました。

COVID-19 の ECMO 治療で重症患者をできるだけ救えるよう、個々の患者の治療支援に CRISIS に入力された詳細データを生かそうという目的がありました。「全国の医療リソースの把握と、ECMO 治療の支援で患者を救うことが、CRISIS 活用の両輪と位置付けていました」。橋本氏は ECMO 導入患者の詳細データを個別に収集したかった理由をこう説明します。

現在収集しているデータは、コロナウイルス関連の重症受け入れ可能な ICU ベッドや人工呼吸管理できる感染対象ベッド数をはじめ、人工呼吸の可能数・実施数、ECMO の可能数・実施数など。詳細データは、症例ごとの年齢・性別・身長・体重などの基本情報や、人工呼吸または ECMO 治療の開始日・終了日・転帰、実施直前の療法などの情報。さらに症例ごとに自由記述によって詳細な経過を入力して、患者状況が時系列で共有できるようになっています。

都道府県別・各施設別に集計された医療リソースのリスト画面(施設名は編集部でマスキング)

各施設の集計データ(ベッド数、人工呼吸・ECMO 数など)の一覧、そのリストから展開される個別の症例入力画面などは、FileMaker ポータルの仕組みを利用してわかりやすいインターフェースで作成されています。「日々専門医から様々なデータ収集に関する追加要求が上がってくることに対し、整然と追加できたのはFileMaker ポータルがあったからこそ」(橋本氏)と評価しています。

各施設の症例ごとに記録される詳細データ画面

アクセス ID の種別によってデータ公開範囲をレベル付け

CRISIS へアクセスするための ID は、何段階にも設定され、ID 種別ごとに閲覧できるデータが決められています。例えば、ECMOnet メンバーや管理者 ID では、すべてのデータの閲覧・編集が可能。各施設責任者 IDでは、自院の詳細データをすべて閲覧・編集できますが、他施設の集計データは閲覧可能であるものの、施設名などは公開されていません。また、行政自治体管理者 ID では、その自治体にある施設の医療リソース集計データは閲覧でき、最上位に表示されるようになりますが、他の都道府県自治体の施設名や詳細データは閲覧不可能といった具合です。

ちなみに、自治体管理者は CRISIS の重症患者数や独自に集計した患者数などを整合しながら、日々発表するデータに用いています。自治体管理者と CRISIS 管理者は相互にコミュニケーションを取りながら、データ提供やデータ不整合を調整しながらデータ精度を高めています。また、CRISIS にはサージカルマスクやアルコール消毒液など医療材料の充足状況も登録されており、自治体はこのデータを見ながら供給支援に役立てています。

各施設のデータ収集に立ちはだかったいくつもの壁

 現在でこそ国内の ICU 保有施設の 8 割をカバーする CRISIS ですが、各施設の詳細データを収集・公開に至までに、様々なハードルがあったと橋本氏は指摘します。まず、日々データを入力することに対して、当初は協力を得られない施設も多かったといいます。医療機関は COVID-19 拡大に伴って厚生労働省や自治体から日々患者数や重症患者数などの報告を求められるようになり、患者対応に追われる医療機関にとってデータの集計・提供が大きな負荷になりつつあったことも一因です。

また、医療業界では通常、臨床研究のための患者データ収集は、臨床研究内容を倫理審査委員会に諮り、承認を得ます。実際にデータ収集する場合には、患者個別に研究参加への同意を取得し、提供を受けるというステップを踏みます。CRISIS のデータ収集では、倫理審査委員会に諮ることも患者同意も取らずにデータを取得し、提供をお願いするわけですから、各施設から反対されて当然と言えば当然です。「医療領域における個人情報保護法では、公衆衛生や公共の利益に資する場合は“黙示の包括的な同意”と呼ばれる形態で、患者本人から特段明確な反対がない限り事前の個別同意なしにデータ収集可能という解釈があり、それに基づいて各施設にデータ提供のお願いをしました」(橋本氏)。中にはデータ提供はするが公開には反対される施設もあり、全国600以上の施設に対して個別に説明しながら協力を仰ぎ、公開範囲を決定するなど多くの苦労を伴ったと言います。一方、臨床研究としてデータを利用する場合は、各施設で倫理審査を終了したケースにはその旨をCRISIS に登録し、別画面でデータ入力を可能とし、利活用できるように設計しています。

橋本氏は、今後も CRISIS の価値を高めるために様々な機能の追加を検討しています。「2014 年に立ち上げたJIPAD は、日本の ICU 治療レベルの向上に役立てられるようになってきました。CRISIS も医療界の中で認知度を高め、JIPAD と同様に ICU の価値を向上させるシステムにしたい」(橋本氏)と期待を膨らませています。


【編集後記】

医療界では、大災害など有事の度に様々な即時対応システムが構築されてきました。ただ、そのときは機能しても平時に戻るとシステムが放置され、利用されなくなるケースもあったと聞きます。橋本氏は CRISIS を有事に備えるシステムとして、今後も拡充させていく考えをお持ちです。「2021 年に予定されている東京オリンピック・パラリンピックで医療体制の現況把握や不測の事態が生じた際の医療対応、さらに将来予測される東南海地震などの災害時対応など、CRISIS 活用の機会は多い」と指摘されているように、COVID-19 収束後も継続して ICU の存在価値を知らしめる仕組みとして期待しています。