事例

【医療 DX レポート】Claris FileMaker が支える"医療現場の次の進化" (後編)

2025 年 11 月 5~7 日に開催された「Claris カンファレンス 2025」では、3 日間で約 70 セッションが行われた。7 日に開催された 6 つのメディカルセッションでは、ローコード開発プラットフォーム Claris FileMaker が医療現場で活用され、それぞれ高い業務効果を発揮している事例が発表された。前回に続き後編では、救急医療の DX 推進、手術部位感染サーベイランスの現場におけるカスタム App、国主導の医療 DX 推進策についてレポートする。

目次

  1. なぜ救急隊 DX が救急医療の質を上げるのか?~医療データで命を救う自治体 DX~
  2. 感染管理認定看護師の妻のために! “SSI サーベイランス”の業務改善に挑戦
  3. FHIR・診療報酬・医療 DX ──迫られる病院経営のデジタル変革と実践ソリューション

1. なぜ救急隊 DX が救急医療の質を上げるのか?~医療データで命を救う自治体 DX~

国内の救急搬送者は 2025 年に年間 750 万件と過去最多になり、病院収容までの平均搬送時間も1989 年の約 5 分から2025 年は約 10 分に倍増した。こうした現状には、(1)救急隊の現場滞在時間の長時間化、(2)傷病者と受け入れ病院とのミスマッチ、(3)救急隊と医療従事者の事務業務の激増といった課題がある。

この課題の解消に向け今、あるベンチャー企業が注目を集めている。救急科専門医・集中治療専門医である園生智弘医師によって 2017 年に設立された TXP Medical株式会社 だ。

当セッションで紹介されたのは、園生氏によってClaris FileMaker で開発された NEXT Stage ER から発展し、救急搬送の現場を変える、iPhone・iPad 向け Claris FileMaker Go アプリ 「NSER mobile」という救急医療情報連携システムだ。同社医療DX事業部部長の大西裕氏は、NSER mobile が救急医療の質向上に寄与していることを、全国自治体の導入例を交えながら説明した。

TXP Medical 医療DX事業部部長 大西裕氏

● iPad × AI 入力 × 即時連携が作る“新しい救急医療の流れ”

iPad を利用する NSER mobile は、生成 AI 音声入力と AI-OCR 機能などにより救急現場での傷病者の状況記録を効率化するとともに受入病院とリアルタイムの情報連携を実現している。QR コードを利用して傷病者情報のカルテ記録を効率化し、活動記録のデジタル化によって報告書作成も効率化している。

● 全国自治体で導入が進む:周辺自治体と医療圏を巻き込んだ連携成功例

山形市では市を中心に 7 消防本部・16 病院を連携させ、NSER mobile により救急搬送全体のプロセスの最適化を実現した。導入前の 2023 年は、救急搬送困難事案(現場滞在時間 30 分以上)が 657 件発生し、病院への受入照会も 4 回以上だった。この課題を解決するパートナーとして採択されたのが NSER mobile だった。

導入支援の際は、徹底的に現場第一を貫いたという。「紙帳票の現場にデジタルが受け入られるよう徹底したトレーニングからスタートし、トレーニング動画やマニュアル整備、現場からのフィードバックを即反映して日々のログを元に改善を重ねる――そうした『伴走型 DX 推進』を徹底しました」(大西氏)。

●「電話削減 3562 件。データ連携が救急搬送を劇的に最適化」

NSER mobile の導入により、受入病院決定の時間が平均約 2 分短縮し、平均照会回数も 1.7 回から 1.4 回へと減少。病院との電話対応は年間で 3562 件が不要になった。画像・心電図を含む傷病者の詳細情報が即座に病院と共有できるようになり、救急隊から「複数病院への連絡が迅速化された」「メモの必要もなく、相手に確実に伝わる」といった声があるという。さらに、事務作業においては、1 件あたり約 15 分から 6 分へと短縮、年間では 1950 時間の短縮が図られたという。

山形市 プロジェクトの成果(NSER mobile導入後の変化)

一方、受入病院側は事前に受け入れ準備が可能になり、救急医は傷病者の到着前に症状やバイタル情報を把握でき、治療開始までの時間が大幅に短縮された。救急医は「以前は“来てから考える”だった救急が、“来る前に考えられる”ようになった」「(デジタル化された)バイタル情報により、カルテ作成が的確になった」と評価している。

●「地方都市から始まる医療DX──山形市が描いた実効性のある未来」

この取り組みは救急搬送プロセスにおける効果の他に、山形市の医療政策にも影響をもたらした。NSER mobile の活用により傷病者の年齢や症状、搬送時間、応需状況などのデータがリアルタイムに蓄積されるようになり、エビデンスに基づく政策立案(EBPM)が可能になったという。

こうした成果を生みだした要因について大西氏は、「自治体・病院・企業の三位一体モデルによる『連携の力』です。TXP Medical が現場、特に医療従事者を徹底的に巻き込んで、医療と行政をつなぐ橋渡し役を担ったことが結果につながった」とし、「DX は技術ではなく“人”で動く」ということを強調した。

山形市でのプロジェクト推進体制と推進のポイント

● 急拡大を支えたのは「現場理解」と「ローコード」

2022 年にリリースされた NSER mobile による救急医療 DX は現在、実証実験中も含め全国 51 の自治体へと拡大し、人口カバー率は約 1200 万人、国内人口の約 10% に上るという。短期間に急拡大できた背景には、同社の救急医療に対する姿勢とプラットフォームにある。大西氏は「Claris FileMakerのローコード技術は現場発のDX基盤です。スピードと柔軟性、そして現場理解。公共・医療など慎重さが求められるような領域ほど、ローコード開発は信頼される即応力として価値を発揮します」と述べた。

2. 感染管理認定看護師の妻のために! “SSI サーベイランス”の業務改善に挑戦

術後の手術部位感染(Surgical site infection, SSI)の発生率を低下させることを目的として、発生状況を継続的に調査・分析し、その結果を現場にフィードバックすることで、感染対策に役立てる SSI サーベイランス。具体的には術後感染が発生した患者の手術情報や感染情報などのデータ収集、術式や感染リスクの指標による層別化、感染率の算出、それら分析データを感染対策チームへフィードバックする。

普段は数学教師を生業とする西塔丈彦氏(ソウトフォース代表)は、こうした管理業務を Claris FileMaker のカスタム App で構築した。その背景には、1000 床クラスの基幹病院で感染管理認定看護師として勤務する奥様が表計算ソフトで業務を行っていたことがある。

ソウトフォース代表で普段は数学教師として教壇に立っている 西塔丈彦氏

● 巨大で複雑な Excel シートを「医療者が使える形」に再構築

開発のきっかけは、西塔氏の奥様が感染管理業務で利用する表計算ソフトを見たとき、そのシートが膨大で複雑な構成であったことだという。「 1 画面に表示しきれない膨大な項目を記録・管理し、それを毎月繰り返していると聞き、“それ、FileMaker なら一発やで!” と」(西塔氏)

ローコード開発ツール Claris FileMaker なら容易に管理できると思った西塔氏は、妻にカスタム App 開発を提案した。

しかし医療分野は門外漢の西塔氏と、表計算ソフトは使えるもののアプリ開発やデータベースなどに関して不案内であった奥様との共同作業は苦労の連続だったという。さまざまな文献や厚生労働省 Web サイトの院内感染対策サーベイランス事業 (JANIS) 等で独学した西塔氏は、手始めに手指衛生のサーベイランスのための集計ツールを作成する。そのツールを使ってみせながらデータベースの概念や FileMaker の基本操作をレクチャーした後、いよいよ SSI サーベイランスの管理ツールの開発に挑んだ。

アプリ開発に際しては、JANIS のサイトに、SSI 部門データ作成用の手術手技コードや感染部位コードなどの一覧が提供されているため、「FileMaker で各マスターを作成するうえでは、それほど難しくはありませんでした」(西塔氏)という。ただ、それぞれの項目についての詳細は理解していないなかでのアプリ開発だった。制作する上で目標としたのは、「できる限り1画面での入力と閲覧を完結できること。さまざまな画面を開いて入力することは避けること」だった。

手始めに作成した「手指衛生サーベイランス 観察集計」画面

作成した「手術部位感染サーベイランスシート」画面では、患者情報、術式などの手術情報、特に SSI サーベイランスの重要な要素である手術時間や使用した抗菌薬に関する情報などが単一画面で入力可能。また、術後感染が発生した場合、それら複数の因子に基づいて数値化する指標であるリスクインデックススコア(0~3)を算出・表示するようにした。そして、術後感染が発生した患者に対して 30 日間の観察記録を入力するシートを用意した。

患者情報や手術情報、抗菌薬使用状況などを1画面で記録・管理する「手術部位感染サーベイランスシート」

● 開発のうえで苦労した3つの壁

SSI サーベイランスのカスタム App 開発で苦労したポイントに西塔氏が挙げたのは、次の 3 点だ。1つ目は、医療従事者でない西塔氏には、奥様からのヒアリングだけが頼りだったということ。システム開発会社の勤務経験がある西塔氏だったが、今回は現場にヒアリングするわけにいかなかった。2 つ目は、追加要件が次々と発生し、修正に時間を要したこと。3 つ目は、フィードバックだ。収集データを「どういった形で届けるか」、各場面で求められる報告フォーマットの設計をするために、部外者である西塔氏個人ではフィードバックを受け取ることが難しかった。

「報告書やデータを披露するというのは、各担当者への配慮は絶対に必要。委員会のカンファレンス、あるいはさまざまな現場のスタッフなど、報告相手に即した適切なフォーマットで情報を提供することに対して、私には限界なのかなと思うこともありました」(西塔氏)とし、その形式を探るやり取りにも時間を要したという。

奥様のために開発したカスタム App であることから、スタンドアロンで稼動しており、機能不足も否めないと西塔氏。「電子カルテとの連携はもちろん不可能で、患者情報の入力にも手間がかかる。観察シートは、現場で使用してもらうための配慮も完璧ではありません」と現状を評価し、より使いやすいカスタム App として改善していきたいと述べた。

医療の専門家ではない数学教師の西塔氏が、奥様とその職場のために SSI サーベイランス管理アプリ開発に挑戦し、運用可能な形へ仕上げる。旧態依然とした現場の作業を効率化させたいという取り組みは DX を象徴するものだ。そして、ローコード開発プラットフォーム である Claris FileMaker だからこそ、この試行錯誤を実現できたのである。

医療知識の有無という壁を越え、奥様と二人三脚で課題を分解し、一歩ずつ改善を重ねた姿勢は、「現場の課題を正面から捉え、より良い医療につなげる」 DX の本質そのものである。

3. 医療DX 令和ビジョン2030:電子処方箋・情報共有・標準型電子カルテの最新動向

医療業界は国主導の「医療DX 令和ビジョン2030」と呼ばれる医療分野のデジタル化戦略を推進している。医療 DX 化、効率化、医療資源の適正な利用といった課題解決を目的とし、「全国医療情報プラットフォーム」の創設、電子カルテ情報の標準化、診療報酬改定 DX という 3 つの柱で取り組みが進んでいる。TXP Medical株式会社 システム開発部の秋山幸久氏は、これら医療 DX 推進の工程表を示しつつ、具体的な施策である電子処方箋管理サービス、電子カルテ情報共有サービスと標準型電子カルテ、診療報酬 DX などの進捗動向を解説した。秋山氏は 2024 年まで株式会社エムシス代表取締役として Claris FileMaker をプラットフォームとした電子カルテシステム「ANNYYS」を開発、その普及に務めてきた。

TXP Medical システム開発部/病院プロダクトグループ 秋山幸久氏

電子処方箋管理サービスは、医療機関が電子処方箋管理サービスに登録した情報を関係各所や患者がオンラインで取得できるもので、 2023 年 1 月からすでに運用が開始されている。しかし、実際の導入率は 2025 年 11 月 14 日現在 36.5% と低調で、特に病院で 17.3%、医科診療所で 23.3% しか導入されていない。「そのため導入推進のための助成金給付の期限を 2025 年 10 月まで延ばされましたが、さらに 2026 年 9 月末まで延長が決まっています」(秋山氏)。

また、医療情報基盤整備として進められている電子カルテ情報共有サービスは、現時点で 3 文書(診療情報提供書、退院サマリー、健康診断結果報告書)・6 情報(傷病名、アレルギー、感染症、薬剤禁忌、検査の情報)を電子カルテから抽出・登録して医療機関等で共有する仕組みで、当初は 2025 年 10 月に運用開始の計画だったが、実際はまだ運用に至っていない。同サービスでは、電子カルテの共有する情報を HL7 FHIR 仕様に変換して管理サービスに登録する必要がある。秋山氏は、Claris カンファレンス 2024 でその仕様の実装方法を同社の電子カルテ「ANNYYS」を基に解説している(電子カルテ情報共有サービスへの対応に向けた「HL7 FHIR 仕様」の実装への試み)。

同サービスの導入と一体的に推進しているのが、「標準型電子カルテ」である。標準型電子カルテとは、電子カルテ情報共有サービスなどの医療 DX のシステム群(全国医療情報プラットフォーム)につながり、情報の共有が可能な電子カルテの構築を目的としている。イメージとしては、電子処方箋管理サービスや電子カルテ情報共有サービスなどの医療 DX システム群、あるいは部門システムや外注検査センター等の院外システムと API 連携する機能を実装している。「一時、標準型電子カルテを開発・配布するという話もあり、医科診療所向け標準型電子カルテ開発は進展しています。しかし、病院向けは標準型電子カルテを開発するのではなく、標準仕様を策定し、電子カルテベンダーがその標準仕様に則った製品を開発する方向になりました」(秋山氏)。

こうした施策の背景には、従来の電子カルテがベンダーのオリジナルコードによるマスターを採用しており、医療機関同士で情報のやり取りができないことにあったと指摘。そこで Claris FileMaker プラットフォームで開発された同社の電子カルテ「ANNYYS」を利用することを秋山氏は提案。「傷病名や臨床検査、放射線検査関連コードなどの標準コードを採用し、同じデータ形式で共有することを目標にしたものです」(秋山氏)と説明した。

【セッションをオンデマンドでご視聴いただけます】

本記事で紹介したセッション「なぜ救急隊 DX が救急医療の質を上げるのか?~医療データで命を救う自治体 DX~」および、前編でご紹介した 3 つのセッションの録画を Claris カンファレンス 2025 オンデマンド配信でご視聴いただけます。

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