北海道最大の都市・札幌市。人口およそ 200 万人のこの街では、年間約 12 万件もの救急出動がある。近年は高齢化に伴って出動件数が急増し、現場の救急隊員の負担は限界に近づいていた。
札幌市消防局はこの課題に対し、TXP Medical株式会社が Claris FileMaker を基盤に開発した救急隊向けアプリ「NSER mobile」を採用。救急現場の “紙と電話” 中心だった情報の伝達をデジタル化し、医療機関との連携を劇的に改善した。
コロナ禍で深刻化した「救急搬送困難事案」
札幌市では、これまで救急隊が現場から電話で 1 件ずつ病院に連絡し、患者の受け入れ可否を確認していた。30 件以上電話をかけても、搬送先が見つからないケースも少なくなかったという。
札幌市消防局 救急課の渡邊 佳祐氏は、当時の現場の状況をこう振り返る。
「救急搬送時の病院への受け入れ確認は、コロナ禍で受け入れが逼迫し、1 件あたり30 医療施設を超えることもありました。受け入れ先が見つからず、現場の滞在時間も長くなり、救急隊員は疲弊していました。隊員の労働負荷を軽減するためには、システム導入が不可欠でした」
札幌市消防局 救急課 渡邊 佳祐 氏
このアナログな仕組みを抜本的に変えたのが、TXP Medical株式会社のテクノロジーだった。
医師が開発した“現場のためのシステム”
TXP Medical株式会社の代表取締役 CEO であり、救急科の専門医でもある園生 智弘氏は、救急医療の現場で感じていた課題を原点に起業した。
「2017 年に、急性期医療機関向けシステム 『NEXT Stage ER』 を Claris FileMaker で自ら開発し、TXP Medical を設立しました。その後、『NEXT Stage ER』から派生して、救急隊向けアプリ『NSER mobile』をリリースしました」
TXP Medical株式会社 代表取締役/医師 園生 智弘 氏
園生氏が目指すのは「医療現場に無理なく馴染むデジタル化」だ。
「TXP Medical は、最新の IT 技術を押しつけるのではなく、現場の声に寄り添うことを大切にしています。救急隊が日々どのような課題を抱えているのか、どんな情報が医師にとって役立つのか──。その双方を理解したうえで、アプリを通じてコミュニケーションの課題を解決することを目指しています」
こうして誕生した NSER mobile は、医師と救急隊の知見を融合させた “現場主導のプロダクト” だ。
写真とデータでつなげる、命を救うネットワーク
NSER mobile 導入後、札幌市内の救急現場は大きく変わった。実際に札幌市消防局で救急救命士として活躍する宇野 貞廣氏は、現場から医療機関へデジタルで情報を送れるようになったことで得られた効果をこう語る。
「外傷の写真を病院に送れるようになったことは大きな変化です。事故現場の状況も 見えることで、衝突による衝撃の方向から損傷を想定できるようになり、医師からの評価も高いです。言葉だけでは伝えきれない情報が、画像では的確に伝わります」
また受け入れ確認については、従来は電話で 1 件ずつ確認していたが、今では他救急隊の病院への受け入れ要請をリアルタイムに見える化し、病院の受け入れ状況等が想定できるようになっている。結果として、傷病者に合わせた適切な救急搬送が行われるようになり、搬送の質が向上している。
「iPad で免許証や保険証を撮影するだけで、OCR によって自動で文字情報化されるので、病院への患者情報の伝達がスムーズになりました。事務処理の手間も減り、より迅速に患者搬送が行えるようになっています」(宇野氏)
札幌市内では現在、36 救急隊(約 350 名)が NSER mobile で iPad を活用。さらに、66 の主要医療機関がシステムに接続しており、救急隊の iPad アプリ (Claris FileMaker Go)と、医療機関に導入されている Claris FileMaker Pro によって情報共有できる体制が整っている。
「TXP Medical が提供する救急隊アプリ『NSER mobile』と、『札幌市救急搬送支援・情報収集・統計分析システム』を連動させ、救急隊と医療機関で患者情報や受け入れ可否を即時に共有できるようにしました」(渡邊氏)
これにより、現場の混乱が軽減されるだけでなく、医療機関側の受け入れ準備も格段に効率化された。
救急隊員の働き方も変化
救急搬送業務のデジタル化は、単に搬送スピードを上げただけではない。救急隊員の働き方そのものも、少しずつ変わり始めている。
「iPad とアプリの導入によって、紙に書いたりファイリングする事務処理時間が短くなりました。その分、休憩や仮眠を取る時間、後輩を教育する時間が確保できるようになっています」(宇野氏)
札幌市消防局 救急課 救急指導係 宇野 貞廣 氏
Claris FileMaker が支える現場の DX
TXP Medical で FileMaker によるアプリ開発を担当するエンジニア 菅 繕久氏は、そのプラットフォームの強みを次のように語る。
「FileMaker は毎年進化しています。『こんな機能があったらいいな』と開発者が思うことが、次々とバージョンアップで実現されていく。拡張性と柔軟性に優れていて、とても使いやすい開発プラットフォームです」
直感的に開発でき、運用後も容易にカスタマイズできる FileMaker の特長は、医療現場のように状況の変化が激しいフィールドに最適だ。この柔軟性こそが、TXP Medical が “現場に寄り添う開発” を可能にしている。
札幌モデルから全国標準へ
札幌市消防局の取り組みは、今や全国の消防本部から注目されるモデルケースとなっている。園生氏は、今後の展望を次のように語る。
「医療と救急隊のデジタル化の歩みを止めてはいけません。札幌での成功を全国に広げ、医療の質をさらに高めていきたいと考えています」
札幌で始まった救急搬送 DX への挑戦は、全国の救急医療に新たな風を吹き込もうとしている。それは、人とテクノロジーが手を取り合い、“命を救う時間を取り戻す” ための取り組みだ。